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パンドールとメリーモナーク

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<フラとの出会い>

フラとの出会い

1965年に先代が創業した会社を1997年に私が引き継ぎすぐにフラドレスとフォークダンス衣装を作り始めました。
それまではインナーアパレル業界のメーカーでナイトウェア(ネグリジェ・パジャマ)を専門店・百貨店・量販店に卸していました。
実用品は中国で作るのが主流になり、デザイン・素材・縫製にこだわりを持つ当社の業績は悪くなる一方で、新市場の開拓としてダンス衣装の製作でした。
製品に対するこだわりをお客様も持たれており、当社の企画力が活かせると思いダンス衣装を作り始めました。
フラのことを何も知らない苦労はありましたが、心斎橋店に続き、2002年に恵比寿店出店も順調になった頃にふとメリーモナークを知った時から目標とした「パンドールのドレスをメリーモナークに出場させる」が蘇りました。はたして私達の作っているドレスのレベルはどのくらいなのか?
その疑問から私達のメリーモナークが始まります。

<プロローグ2004年夏>

日本にダンサーを呼び公演するプロモーターにお願いし、パンドールのドレスでメリーモナークに出場してくれるハラウを探してくれるようお願いしました。
11月になり返事が来ました。2チームに声をかけて、1チームがOKの返事がありました。それがサニーチンでした。
ハラウのアラカイであるロパカと何度かやりとりで、メリーモナークまでのデザイン・製作のスケジュール等を確認し、1回目のミーティングは2,005年1月6日に決まりました。

<ファーストミーティング>デザインと採寸

2005年1月5日ホノルル着。お世話になったプロモーター夫妻は年末から来られていて、私とデザイナー、通訳の5名で明日のための下準備ミーティング。
注意事項として、サニーチンは非常にデリケートな人で、練習中は声をかけない事、高圧的な言動態度を出さない事と言われ緊張感が高まってくる。

<ファーストミーティング>デザインと採寸

翌1月6日18:00 ニミッツハイウェイ沿いにある退役軍人用のホールを借りスタジオにしており、敷地とホールは広いが自販機1つあるだけの殺風景な所で数人が来ていた。練習で踊っているのはアラカイのロパカとミスアロハフラに出場するマイレの二人。2つの曲を二人で交互に踊りCDを時々止めながらロパカがチェックを入れている。なぜ2曲?後で聞けばまだ曲がどちらになるか決まっていないかららしい。素人の私が見ても男性のロパカの方が色っぽかった。2時間半踊りっぱなしだそうでびっくり!

18:30全体練習が始まる。演壇上の男性が叩くイプヘケに合わせて基本ステップ。仕事帰りのメンバーが加わり徐々に人数も増えてくる。

19:00サニーチン登場!ハグの後、正絹の着物生地で作ったアロハシャツをロパカと二人にプレゼントした。メチャ喜んでいた。
全員を集めて新年の挨拶と今年の基本方針やフラへの心構え、スケジュール、質疑応答等のミーティングが済んだ後、サニーチン、ロパカ、衣装係と思える女性のアラカイとサニーチンのママでデザインミーティングに入る。
他のメンバーはイプヘケに合わせて基本ステップの練習を再開した。

ファーストミーティング

20:00サニーチンは自筆のデザイン画を用意しておりびっくり!
後でスタッフから聞いたがデザイナーになりたかったらしい。
制作するのは昨年のアロハフラで優勝したナターシャのエキビジション用と今回出場するアウアナチーム用とアロハフラにでるマイレの3種類になった。
シンプルで優雅をテーマとし、彼の絵を基に協議を重ねチューブトップドレスとノースリーブドレスのラフデザイン画をその場で描き、チューブトップはナターシャ用に、2種類のノースリーブをコンペ用に作ることになった。

次は素材の選定だが上は無地で下はグラデーション柄で生地を切り替えずに一体感の出るような生地を希望されたが、当時はそんな生地はなく、無地とグラデーション生地の2種類でサンプルを作ることになった。
ミスアロハフラのマイレのドレスはマイレに合うような生地をおまかせで、ナターシャはシルクのピンクが希望だったが、日本の絹事情(きもの業界保護のため規制がかかっている)を説明しポリエステルジャガードサテンで作ることになった。

ファーストミーティング

次は採寸。数人ずつ並んでもらいデザイナーがメジャーで測り私が記入していく。名前は本人に記入してもらい、採寸サイズを記入していくが身長は本人に申告してもらった。**フィート**インチと聞いてもその場ではインチの感覚が判断出来ず書き留めたが後でびっくりすることになった。ハワイの人は自分のプロポーションに無頓着でブラジャーのサイズとか知らない人が多いらしい。「じゃ、どうしているの?」と聞けば、店員さんに合うサイズを持ってきてもらうか、店にあるのを試着して合うのを買うとかでB・W・Hのスリーサイズも知らない人も多いらしい。あまり必要なことではないと言う事か。ましてや身長などもっと無頓着「彼女より少し高い」って言う感じ。
それとびっくりしたのが、日本人との体型との違い。アジア系の人でもウエスト位置が高く、バスト・ヒップ等全体に厚い。採寸に間違いはないはずだが違和感があり心配。

ファーストミーティング

21:30採寸も終わり、練習も終わり解散。その日はずーと基本ステップの反復練習。イプヘケを叩き続けたアラカイさんもすごい!
日本でこんな練習内容だったら生徒さんは集まらないのではと思いながらスタジオを後にする。
ホテルまでサニーチンの車ジャガーで送ってもらうことになり、ある中学校に通りかかった時にサニーチンがこの学校で教師をしながらフラも教え、独立すぐは生徒が少なく苦労した。今メジャーになれた事を感謝していると謙虚に語った。車中で食事に行くことに決まり、私達とサニーチン、ロパカ、サニーチンのママとで日本料理店「にんにく屋」に行った。
不思議なことにサニーチンには私のつたない英語が通じるのにロパカには通じず、サニーチンが通訳してくれた。サニーチンとは息が合うかもと思った。
パンドールのドレスで優勝できたら、来年のデモで踊るマイレにデモ用ドレスをプレゼントする話で大いに盛り上がった。

ファーストミーティング

帰国後スケジュールの確認をし、1月末に先上げドレスを試着してもらわないと本番に間に合わないことが判明。大至急でアウアナ用のサンプル2種類とマイレとナターシャ用のドレスデザインと提案生地を用意する事になった。
次のデザインミーティングの日程調整をロパカとやりとりした。ロパカから返信メールが来た時は英語が通じたとほっとした。

<セカンドミーティング>素材決め

<セカンドミーティング>素材決め

1月25日
19:30に前回と同じスタジオに伺う。メンバーは基本ステップの練習。

20:00サニーチン登場。ナターシャは風邪でお休み。アウアナ用ドレスは無地とグラデーション生地のドレスで、2枚を試着してもらった。グラデーションのドレスを着たマイレは気に入ったらしくその場で踊りだした。誰かがラジカセで曲を流し出し一層盛り上がった。その後二人をステージに立たせデザインチェック。デザインはグラデーション生地でプリンセスラインのノースリーブに決まり、フレアーの出し方等細かな所まで詰めた。
ソロ用はデザイン画と生地見本を見てもらいサニーチンとロパカで決めてもらい、マイレはベロアのノースリーブ、ナターシャはサテン無地のチューブトップに決まった。

セカンドミーティング

確認事項としてハラウオリジナルとして1年間は同じドレスを他に作らないこと、ただし、広告に使用出来る事を確認した。

21:30練習途中に退出したが、その間ずっと基本ステップで、ロパカに挨拶した時は彼の足が痙攣していた。

サニーママにホテルまで送ってもらう。ママは移民局で働いており、週2回練習を覗きに来ているそうだ。別れ際にママお手製のドレッシングをいただいた。アメリカ人好みですごく甘かった。

帰国後すぐに制作準備にかかる。38名アウアナチームのドレスは採寸データに基づきグレーディングし、生地、付属、指示書を手配して工場に投入した。

セカンドミーティング

その後工場からアウアナチームの生地が足らないという連絡が入り、即追加の発注をしたが、生地メーカーからは在庫がないのでイタリアからイタリアメーカのプリント版を取り寄せ、日本製の生地にプリントするのに1ヶ月かかるとの返事。それでは試着後のお直しをする時間が足りない。版が来たらすぐプリントしてもらうよう、また工場にもすぐ縫ってもらうよう無理をいい。
危篤のお父様のいる縫製班長にも出勤してもらい即納をお願いする。
ドレスの納期が不確定なので3月2日の試着ミーティングに間に合うよう2月28日組と3月1日組と1日違いの2班に別れてのスケジュールを組んだ。

<サードミーティング>試着

<サードミーティング>試着

2月28日出発当日にドレスが届き間に合ったが寸法・仕上がりチェックをする間も無くハワイに向かった。

3月2日
18:30ドレスを着てもらう時が来た。38名1人づつ着てもらっての最終チェック。全体に大きめの人が多い。アラカイのリンさんは練習で痩せてきている。
後一ヶ月の練習はもっとハードになり、特に太めの人はより痩せると。
ではどうすれば?と心配したが、今の体型でジャストサイズに作りその後の体型変化に対してはハラウで直す事になった。 そして初回のミーティングの採寸の時に危惧した事が現実になった。いいかげんな申告で着丈が10cm程短い子が1人と採寸出来なかった子のぶんは彼女と私は背格好が同じだからと言われ作ったが、裾は歩けないほど引きずっているし、見頃はガボガボ!

サードミーティング

試着した人の修正指示を控えドレスを回収した後に、リンさんが幅の直しはこちらでするが裾の床上がりは4cmに統一してくれとの事。大会のステージは審査員の目線の高さになり非常に重要なポイントになるらしい。
結局もう一度全員に来てもらい、裾の前と後ろ横とを測り修正項目に追加した。
試着分は持ち帰り、当日試着できなかった人のドレスは後日試着してもらい送り返してもらうことになった。

スタジオの練習も熱が入ってきており男女に別れ振付を練習していた。
ドレスを試着する間もチャントを唱えながら着替えていたのが印象的。
丈チェックも済み、帰り際に挨拶しようとしたら、なんとロパカが足ギブスで松葉杖。昨日の練習で足を捻挫し全治2週間。本番に間に合うか心配。

帰国後10日程で修正が終わり3月22日に38着をハワイに送る。
運賃・関税・手数料等でハワイ旅行1名分の料金になり、手持ちで持っていけばと悔やむ。

サードミーティング
サードミーティング

<メリーモナーク観戦>

メリーモナーク観戦

3月30日 成田発ホノルル行の飛行機は先生方や同業者の方など顔見知りでいっぱい。さすがはメリーモナーク。
8:00ホノルル着。リンさんからメリーモナークのチケットを受け取りハワイ島への乗り継ぎゲートに向かうとサニーチン一行が集合していた。ロパカがキラウエア火山で神への踊りを捧げに行くが一緒にどうだと誘ってくれた。
時間と場所が決まったらホテルに連絡してもらう事になった。
日本で知り合いの方からハワイ島でパパイヤ農場を経営している方を紹介してもらいその家族と夕食をともにした。
ホテルの部屋に留守電が入っていたが無言で切れていた。
3月31日 メリーモナーク開催当日
昼までロパカからの連絡を待ったが無く、昨日の留守電がどうやらそれらしい。
偶然に出会うのを期待してキラウエアに向かった。
結局は出会えなかったが、火口の広大さ・険しい岩肌に咲くレフア等、自然の力強さに感動した。
手配してくれたチケットのシートはステージ下の後方。日頃はテニス場で木製ベンチだけだがクッション付のパイプ椅子を用意してくれていた。

メリーモナーク観戦

初日はミスアロハフラを決める日。まずはカヒコから。チャントを唱えながら力強い踊りが続く。当時は日本でカヒコをあまり見たことがなかったので面白かった。クムの衣装も採点されるようで踊り子と雰囲気を合わせたものが多い。
5時間にも及ぶコンペなので飽き無いよう自分なりの採点で楽しむ。マイレのカヒコは2位の採点。
長い行列が出来たトイレ休憩の後は本題の現代フラ。採点ポイントはドレスと踊り。ドレスは今年も無地系でエレガンスなデザインが多く、この傾向は続いているようだ。
いよいよマイレ登場!踊りながらステージ下からステージに上がっていく後ろ姿を見た途端ボロボロと涙が出て踊りがよく見えない。世界の晴れ舞台にパンドールのグリーンゴールドのドレスが揺れている。結局泣きっぱなしで踊りはよく見られなかった。涙の採点は3位。

結果発表までの時間を利用してデモンストレーションで昨年の優勝者ナターシャが踊るがパンドールのではなかった。言うとおりに作っている時もしょぼい感が出ていて、私も気に入っていなかったのでよかったのかも。やはりコンペとデモでは力の入り方が違うということか。

いよいよ結果発表。結果を待つサニーチン、マイレチームの全員が緊張していた。

メリーモナーク観戦

4位、3位。2位と発表の度に会場が歓声で割れる。そして1位。マイレのコールの瞬間ヤッター!!チーム関係者と抱き合い、飛び跳ね、腕を突き上げた。
サニーチンとマイレが優勝インタビューを受けている間、マイレパパからドレスのおかげで優勝出来たと褒められた。ステージに上がりみんなでハグと記念写真を撮った。
ホテルに帰ったのは午前2時。乾杯するにも酒もなく、ホテル横の喫煙所で1人タバコの祝杯を上げた。

翌4月1日地元紙の朝刊1面トップにマイレが載っていた。
カヒコの衣装だったのが残念。

<メリーモナーク観戦二日目>

<メリーモナーク観戦二日目>

今日から2日間は群舞の部。10組のカネを含む28組が出場。
カヒコの衣装は作っていないのでリラックスして観戦。男性、女性共に2位の自己採点。

2日目はアウアナで19番目の出場。カネは27番目。マイレの優勝で気分も楽になり、入賞したら充分と余裕ができたが期待はする。
アウアナチームの順番が来た。床上がりもきれいに揃いグラデーションのドレスがゆらゆらと一糸乱れず揺れるのが美しかった。3名のミスアロハフラ、しかも3年連続優勝者が入っているチームが優勝以外ありえないと欲も出てくる。

メリーモナーク観戦二日目

審査員と参加クムの余興フラの間に集計が進みいよいよ結果発表。まずはカネからで優勝カジメロでサニーチンは2位。アウアナは優勝レイアロハでサニーチンは同じく2位という好成績を残せた。

ロパカは表彰式の時に松葉杖をついていた。やはりあの練習での怪我が完治していなかったようだ。
どんちゃん騒ぎの中挨拶もそこそこに引き上げ、日本に結果報告し昨日の喫煙所で祝煙を上げた。

同年5月サニーチンが講演で来日した時に来年のメリーモナークは審査員に選ばれたので出場出来ないがマイレのデモは出るからと「優勝したらデモ用ドレスを作る」件は覚えていた。
パンドールのメリーモナークは来年も続くことになった。

<その後>

夏のフラ専門誌フラレアにメリーモナークの特集が掲載されてからの反響は大きかった。おかげさまでパンドールの知名度が上がった。
3連覇したサニーチンも大人気で日本公演のため頻繁に来日した。
また審査員に選ばれたことで次のメリーモナークには出られない事もあり、サニーチンも私も昨年と違い力の入れ方が軽くなり、来日する毎のミーティングで済ますことになった。
講演先まで伺いロビーや楽屋で打ち合わせだったのでカメラを一度も持って行かなくて残念なことをした。よって写真は1枚もないのをご容赦下さい。

その後
その後

一度目は秋に生地の資料をキャリーバックいっぱいに詰め込んで神戸のオリエンタルホテルの講演先に出向いた。
サニーチンは忙しくてなかなか捕まらない、なんとか打ち合わせ出来たが内容はマイレが3年連続優勝ミスアロハフラのジェニファー、ナターシャの3姉妹でどうしても踊りたいと言っている。デザイン・素材を提案してほしい。ただし3人共違うデザインがいいが、一体感のあるものにということだった。

二度目のミーティングは冬の東京で場所は忘れたが講演先だったかと思う。

その後
その後

企画提案したデザインはマーメイドドレスで上見頃をフォルターネック・アメリカンスリーブ・チューブトップの3デザイン。素材は昨年のメリーモナークでアウアナドレスの色違いのグラデーションのデシンという素材。
この素材は透けるので裏地がつくが裏地の色をブルー系・グリーン系・オレンジ系にして素材でも違いを出す事にした。
3タイプのデザイン画と素材を付けてマイレに見てもらい了解をもらった。
ドレスのサイズは昨年作ったドレスと同じサイズで作り、後でお直しする手順に決まった。

翌年にはお直ししたドレスをハワイに送り、あとはメリーモナークを待つだけだった。

その後

<後記>

メリーモナークに挑戦するにあたって多くの方にご協力を頂きました。
ハワイもフラも何も知らなかった私がここまで出来たのは皆様のおかげだと感謝しています。
メリーモナークへの挑戦は私にとって大きな貴重な体験です。おかげさまで、私達のドレスが世界に通用するという自信がもて、同時にパンドールというドレスメーカーの名前をフラの世界の多くの人に知ってもらうことが出来ました。
現在はより一層もの作りに力を入れCADの増設・CAMの導入・オイルレスミシンの導入など品質の向上に努めています。
今後共より一層のご愛顧の程よろしくお願いいたします。

パンドール山路株式会社
代表取締役社長 山路幹司

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